みやけ雪子タイトル

月別アーカイブ » 2011年5月の記事一覧

  2011.05.27
ご無沙汰致しました

皆さま ご無沙汰しました。
ツイッターでは、携帯電話で毎日の様子は発信できていたものの、パソコンにはなかなか向かうことができず、ブログの更新ができませんでした。

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  2011.05.19
報告を終えて

昨日、入院・手術について、皆さんに報告できてほっとしています。
こんなときに国会を離れなければいけないことは苦渋の決断でしたが、選択肢はもう残されていませんでした。逆に早く手術をし、会期中に戻ってくるのを目標にすることにします。

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  2011.05.18
お詫び

かねてからお伝えしていた去年骨折した腰の状態について、ご報告があります。
先日の病院の検査で、折れた腰の骨が自然に治癒する見込みがなくなり、むしろ補強のためのボルトが損傷する可能性が高くなったことがわかりました。

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  2011.05.18
おはようございます

きのうのブログのタイトルが意味深だったので、皆さんに心配させてしまい、さきほど直しました。スミマセン。夜にブログを書き、朝見直すと恥ずかしくなることってないですか?妙に大仰だったりして。

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  2011.05.17
明日は厚生労働部門会議

まもなく今日の日も終わろうとしています。 明日は厚生労働の部門会議。

毎日6時起床なのに、不思議なことに8時の会議はつらい。朝、始動まで時間がかかるのが悩み。起きてニュースをチェックし、電気ストーブで腰を温め、痛み止めを飲み、夫に入れてもらったチャイを頂く。この辺でやっとエンジンがかかり、シャワー、身支度。

余裕があると本を読みます。

週末までに色々片づけておかなければ。明日はもう水曜日。

  2011.05.17
お礼

どんなにご批判頂くと思ったら、応援のメッセージを山ほど。

本当に感激しています。しかし、今回のことはまさに自己責任。しかし、ほとんどの方が普段

からブログやツイートを読んでくださっているから、理解してくださったんだと思います。そうい

う意味では、続けてよかったと感じております。やはり、情報発信せずにわかってもらおうとい

うのは無理だと思います。自分も努力をしなければいけない。必要以上によく見せる必要も

ないし、1年生議員なので、日々の成長を見て頂ければ幸いです。

よくも悪くも私は、早い時期に色々な経験をしたので、逆にこの経験が生かせるときもくるの

では思います。どうぞ忌憚のないご意見これからお待ちしています。

  2011.05.17
おはようございます

おはようございます。

いつもと変わらぬ朝。
夫が早勤なので私も合わせて5時半に起きました。
昨日は勤務明けからそのまま、会社から駆け付けてくれ9時まで病院につきあわせてしまったので疲れている様子。面倒のかかる妻で申し訳ない。

一カ月安静にすることがラストチャンスでしたが、それさえも守れませんでした。往復8時間の福島Jヴィレッジも皆が行くと先輩議員から聞いて、どうしても行きたくなりメンバーに入れてもらいました。そのとき、許可がでていたのは1時間までの移動(座位(座っていること)です)。案の定、戻ってきて、急激に痛みが増し、しばらくは立っていられなくなりました。

しかし、あの日の視察は大変有意義なものだったので、行ったことは後悔していません。

群馬4区。ご存じの通り、全国でも名だたる保守王国。普通の活動をしていたら、議席の獲得はできません。私は祖父は政治家でしたが、秋田2区(旧1区)選出なので世襲議員ではありません。祖父の名前はあるものの名前が違うので『看板』になるのかわかりません。
後ほどでてくる上杉さんの本にもある通り、ここ、群馬では『名字が一緒』というのが重要な要素だからです。
また、『カバン』と言われる政治資金は、祖母がおこづかいをわずか数万円くれただけでした。私はあまり違和感がなかったのですが、この話をしてもなかなか信じてもらえません。実は隠し持ってもっているのかな(笑い)今、上杉隆さんの『世襲のからくり』という本を頂き読んでいますが、億や千の単位の話がでてきて、うらやましいというのが率直な感想です。強固な後援会と豊富な資金。しかし、そうでない私にも門戸を開いてくれ、初めて民主党議員を受け入れてくれた懐の深さが群馬にはあります。決して、『世襲でなければダメ』という地ではなかったのです。結果的に4区だけが与野党両方の議員がいるという形になり、よかったのかもしれません。

それにしても潤沢な資金どころか歳費カット(3割→被災地のことを考えればこれは当然のこと)もあり、事務所は火の車。へこんでしまった車もしばらく直せず、(車自体も20万円の中古のマーチ)各所にお呼ばれするたびに奇異な視線を感じるため、さすがに最近直しました(笑い)。もうじき、資産公開がありますが、私の名義のマンションは、父が急死したとき母と弟を住まわせるためローンで購入したものです。購入した理由は賃貸と比べ購入した方がはるかに月の支払いが少なかったという単純な理由からです。ですから、昨年書かれた白金=セレブというのは少しニュアンスが違います。お恥ずかしながら滞納もしてしまったことがあるくらい必死でローンを払っています。『今月は大丈夫ですか?』と秘書に声をかけられる始末・・・。話しは逸れましたが、そろそろ準備に入ります。皆さま、いい一日を。

  2011.05.16
明日に向かって

3月11日の震災か2カ月あまり。

多くの命が失われました。
すべてを失い、ご家族を失った方々、いまだ不便な避難所生活の方々もいらっしゃいます。これから長い年月がかかるかもしれませんが、復興に向けて仲間の議員と力を合わせて邁進してまいります。そして、いかなることがあろうとも、自分が恵まれていることを肝に銘じて、これからも命を大事にしていきます。

残念ですが、明日から私は車椅子の生活になります。
急な話なので借りる手配もあり、夕方からでしょうか・・・。医師からの強い指示です。本会議は杖で行かれると思います。私は転倒の際、無理に乗せられ、そのことが誤解を生んだ経験から、車椅子に乗るのに強い強い抵抗があります。正直とても嫌です。
今、考えただけでも憂鬱になります。しかし、車椅子を使わないとさらに腰が悪化し、仕事に影響が出て、結局皆さんに迷惑がかかります。また、回復が遅れます。どうぞご理解頂けると幸いです。

まさに自己責任で、退院後すぐから無理をしすぎたのが原因です。医師によると、今まで再手術になった人は50人中2人、腰のボルトが折れた人は50人中1人(この人は体重100キロと別の理由もあったようですが)私のように医師の指示に従わず、治癒力よりも活動量が大幅に上回ったことによるケースはないようです。(私のボルトはまだ折れていませんがいつ折れてもおかしくない状態)やはり、国会議員という職業から安静にもできず、退院翌日からアイドリングなし、徐行なしのフル回転。手術前と同じ生活、というより1月などはむしろそれ以上の生活を送ってしまいました。あまり手が抜けない不器用な私の性格によるものもあるかもしれません。

どうしても、入院中のブランクを取り戻したいという焦りがありました。焦らずにしっかり治そうというアドバイスを聞かなかったのはこの私自身です。この2カ月は激しい痛みとの戦いでしたが、政治家は弱音を吐いてはいけないと忠告を受け、聞かれたときだけ、回復が遅れていること、痛みがあることは答えていました。
いつまでも、杖がとれないことを不思議に思った方から、最近尋ねられることが多かったからです。

いずれにしても、多くの被災者の方々のご苦労に比べたら本当にちっぽけなこと。前向きにこれからも頑張って行きますのでどうぞよろしくお願い申し上げます。

  2011.05.16
新しい週

6時起床。不思議にぱちっと目が覚めます。

ツイッターのフォロワーさんが1万3000人を超して、恐縮の限り。その一方、その時の気分で気軽につぶやくと記事になったり、問題になるので、慎重になってしまいました。
そうそう、たまたまフォロワーさんをみていたら、○○党群馬県連を見つけ、ぎゃっと叫んでしまいました(笑)私の行動などを気にしてださり、有難うございます。

その一方、実際に会った方も多く、本当だったら絶対知り合うことのなかった遠い場所に住んでいる方とやりとり(ダイレクトメール)するのも楽しい。『ユー ゴット ア メール』の世界ですね。最近はすっかり堅くなってしまいましたが、たまにはおとといの『寝過ごしツイート』のような軽いつぶやきもしてみようかなと思っています。

元野球選手の江川さんの本を読んでいたら、あのドラフトでついたイメージを払しょくすることに何十年もかかったことが書いてあり、高校生にあんなことが思いつくわけがなく、大人が考えた悪知恵に決まっているのに、今となるとあのバッシングはなんだったんだろうと感じます。

私も同じようにわけがわからないうちに巻き込まれた騒動の後遺症に苦労をしているところもありますが、それでも誤解せず一生懸命応援してくれる方がいて、それが支えで毎日の活動ができています。
このあいだのブログで最大限相手の方を傷つけない配慮をして、
(それでも憤りはあるので多少そこも触れましたが)
あの日のことをできるだけ事実に沿って書き、自分の中では一回整理がつきました。いつまでも同じことを言ってくる方もわずかですがいます。しかし、そうでない方の方の方が増えてきて、活動を見守り、成長を喜んでくれる。
1年生議員を応援してくれるのは、将来への期待もあると思うのでその期待を裏切らないようにしようと思います。

  2011.05.15
群馬県のマスコットキャラクター"ぐんまちゃん"と。

連合群馬ふれあいフェスティバルin高崎にて
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  2011.05.15
連合群馬ふれあいフェスティバルin藤岡にてご挨拶

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  2011.05.13
子どもたちを守るために

『東日本大震災について考える』の会は1時間半紛糾しっぱなしでした。経産省、文科省、原子力安全・保安委と来てもらったのですが、原子力安全委・保安院は、『20ミリシーベルトが安全とか大丈夫などと一切報告していません』とばっさり。

必然的に、質問は文科省に集中しましたが、担当者は、基準に則って決定したということをひたすら表現を変え、繰り返すのみ。子どもの健康や安全を心配する言葉は聞けたのは、会議開始後1時間後。用心に用心をして、しすぎることはないのになぜ1ミリシーベルトから20ミリシーベルト幅で高い数値にわざわざ設定したんでしょう。いくら、説明を聞いても全く理解できず。

ICRPの基準を勝手にいいように解釈しているようにしか思えません。この議論は政府が撤回するまでまだまだしばらく続きそうです。鳩山前総理は、原発に関わる会議には(それ以外もですが)特にこまめに出席されています。今日も熱心に耳を傾けていらっしゃいました。

未来を担う子どもたちを守るのは、私たち大人の一番重要な役目です。子どもたちが人災
よって健康を脅かされている、また将来的な不安も抱えることになる、これには絶対ストップをかけないといけません。いくらでも手段があるのに、何の手立てもとらない。集団疎開もしない、暫定基準も下げない、砂場の砂も上下入れ替えるだけ、汚染された砂は放置・・・。

今日は福島の親の会や、支援するNPOの方もいらっしゃってました。頑張れ!福島。私たちも頑張ります。


今日、私の体を心配して支持者の方がサプリメントを届けてくださいました。(有難うございます!)癌が治った人もいるというふれこみで、サプリメントの名前の下に『FOR LONGER LIFE』(長生きのために)と書いてあります。今、ボトルを手にして、眺めているところ・・・。

長い生きはそんなにしたくないのですが、杖やコルセットなしで歩けるようにはなりたいです。

  2011.05.13
党員・サポーター集め

おはようございます。

いつものように6時起床。今日は金曜日で議員は皆地元。会議も少ない日です。毎週、被災地であまり地元に帰れていない議員もいますが、そういうことも含め有権者には理解して頂きたいと思います(もちろん、本人の情報発信も大事)初鹿議員、高邑議員、阪口直人議員、長島一由議員らはもう10回以上は行っているのではないでしょうか。物資の運搬、ボランティア活動ももちろんですが、そこで聞いてきたことが震災ボランティア室の情報として生きています。

今日は、川内さん、辻恵先生の主催の『東日本大震災について考える会』。文科省、原子力安全委員会・原子力安全保安院と勢ぞろいなので、激しい議論になるはず。20ミリシーベルト問題、土壌の入れ替え問題(個人的にはそんな手をこんだことをせずに、安全重視で入れ替えればいいのにと思う)などなど。


東京・高崎合同会議を今日は行います。党員・サポーター集めに関してなど懸案事項は山のようにあります。去年は、党員・サポーター数が新人、全体でも上位だったと当時H議員

(H議員が悪いわけではないのでイニシャルにしました)から聞かされた時は『嬉しい!』と一瞬喜びましたが、執行部がなぜか毎年行っていた両院議員総会、プレス民主での発表を取りやめ(噂では小沢系が上位だったからと言われていましたが真偽は不明)、

気が抜けてしまった記憶があります。

エレベータで出くわしたH議員が、『頑張ったね。すごいよ。でも、今年は事情(どんな事情だ!)があって、発表をやめると執行部が判断して・・・むにゃむにゃ』と気の毒そうにおっしゃっていたのが印象的でした。『プレス民主にもですか?』『・・・・』

私はいいのですが、頑張ってくれたスタッフ・後援者に申し訳なく。 その後、代表選がらみで地元の党員・サポーター数が公表されましたが、私は群馬では苦戦(同じ選挙区に前の4区の候補が単独比例でいるため→私以外にもこういうケースはあったと思いますが新規からスタートはつらいのです)。というわけで、その方は菅さん支持だったので小沢元代表の代表選挙には貢献できず。事情など知ろうともしない(知っていても書かない)雑誌からだらしないとバッシングをされたのが悔しい思い出です。

  2011.05.12
人それぞれ

『新しい公共調査会』のあとは、震災ボランティア室の会議でした(別件で中座)

ゴールデンウイークに被災地に入り避難所に入った議員の報告書は現在150ほど事務局に届いているそう。これをしっかりと生かさなければいけないし、岡田幹事長も気にされているご様子。
1人で15か所も回った女性議員もいて、これは若い民主党だからこそできたことだと思います。

話はかわりますが・・・

よく取材や同僚議員に『性格は?』と聞かれ、私が答えるのは『内気、人見知り、目立つのが嫌い、おとなしい・・・』すると、10人中10人に違うと言われます。
明るく天然系ですって。

まあ、明るいのはそうかもしれません。

一点だけ人と違うかもしれないのは、大きな決断であればあるほど迷わず瞬時に決断できるところ。立候補のときとか。
あと、決めたことにぶれないところ。ここだけは政治家向きなのかもしれません。そのかわり、しょうもないことでクヨクヨしたり(喜んだり)します。

折り返し電話が来ないとか(笑い)来たとか。
小沢元代表に何言われても平気ですが、川内さんにあの独特の詰問口調で話されたり、叱られるとるとへこみます。最近はとみにお叱りが多い。
頭がいい人はそうでない人にイラっとくるんでしょうか。
20ミリシーベルト問題で今は特にテンションが高い・・・。

  2011.05.12
為政者の条件

おはようございます。6時起床。
昨日はゆっくり新聞を読む時間がなかったので1時間半かけて熟読。
最近ニュースはネットでいいという人も増えてきていますが、ネットニュースのいい加減さを知っている私としては、まだまだそんな心境になれない。

新聞社や通信社の公式なものはまだしも、他のネット検索大手のニュースは基本的に取材なし事実確認なし、ただ転載しているだけの記事が大部分を占めているので、元となる記事が間違っていると当然転載されたものもそうなるのだが責任は伴わない(という主張だった)これってある意味、記事が間違っていた場合、『風説の流布』というか風評被害になるじゃないかとよく被害に遭う私としては素朴に思います。

ということもありますが、記者の息遣いが伝わる新聞が好きです。(極端な民主党叩きは別として)

私が好きな安岡正篤の言葉です。

為政者の条件

国家に於て、恰もその人心に当るものは民衆であり、為政者はその天理に該当する。為政者の政治を待って、初めて民衆は乱離を免れることが出来るのである。故に為政者は民衆とひとしく(変換できず)人間であるが、絶対者(天)の徳を承けて、民生を化育し、国家を興隆せしむべき理想活動の人、即ち国士でなければならぬ。かかる本質上、先ず人徳を具(そなう)うことを要する。

  2011.05.11
日本精神科病院協会との意見交換会

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  2011.05.11
おこごと

おはようございます。よろよろと起き、何とか部屋へ。
朝の日課、まずは(5月だというのに)電気ストーブの前で腰を温める(およそ20分)。
節電しなければいけないのに申し訳ないのですが、我が家は夏クーラーを使わないのでご容赦を。

そして、スケジュールを見て気合いを入れる。しかし、今日はいつもと様子が違うようだ。何だろう・・・。

小沢元代表に、検査の件を報告したら大騒ぎ、電話口で叱られ困ってしまった。
小沢さんは本当に優しい。
まず、国民の皆さんに迷惑をかけないかというのが私の一番の優先事項で、公務も地元活動もしっかりやっている(つもり)なのですが、最終的に国民の皆さんにお役に立つことために、まずはしっかり体を治せと。
私の手を抜けない性格、厳しい選挙事情(なんといっても'あの'群馬4区ですから)ゆっくりなんて、とてもできない。

しかし、『会議?勉強会?全部出てたら、治るわけないだろ』『土日に辻立ち?何考えてるんだ!!』とカミナリ。
だって常在戦場だって言っているじゃないですかと口答えを試みるもの、あまりの勢いに言葉はさめず。なんとか、ごまかし(半分嘘)、納得(あまりしていなかったようですが)してもらいました。

事務所と相談をしていて、本会議、委員会、部門会議は当然として、議員が絶対出席したい会議はと聞かれ、一番が障害者政策PT(障害者政策はライフワーク)雇用対策WT会議・・・とあげていたら、『今と変わりないじゃないですか!!』とここでも怒られてしまった。
しかし、こっそりまた、視察の計画を立てています。あ、書いちゃだめか。

さあ、今日も一日頑張ろう~

  2011.05.10
明日は厚生労働委員会

夕方からバンバン予定が入り、明日はかなりハードになりました。

しかし、役職にある人は倍仕事をしているわけですが、小宮山厚生労働副大臣など答弁もさわやか、いつも余裕がある立ち振る舞い、笑顔も絶やさず、感心してしまう・・・などと書くと小沢シンパの方からたまに叱られるのですが、まったく政治的意図のない(というのも変ですが)発言です。

8時厚生労働部門会議に始まり、再び雇用対策ワーキングチーム会議、3時間強の厚生労働委員会などなど。そして夜は勉強会。

今日は急に15分時間ができたので鳩山事務所へ。
といっても鳩山先生ではなく慕っている秘書さん(年配です・・・)の顔を見に。
たわいのない話をして次の会議へ。今日、一息つけたのはこの15分だけ。

それにしても、西成の事件は許せない。
今日の雇用対策ワーキングチームでも話題になりましたが、他にもこういう例があるのではないか。作業員全員に聞きとりしたいぐらいである。
というかすべきだと思いますが、交代制でもあり途方もない人数。何しろ、東電は下請け、孫請けに丸投げで、まったく実態把握をしていないし、いまだする意思もないのです。

厚生労働省から常駐でJヴィレッジに人を出すべきという意見が多数でした。厚生労働省担当者の答えは『三役と相談して検討します』

  2011.05.10
危機管理とは

特に意識をして書いたり話したりしていませんでしたが、うちの母は8年前に、重症骨折のレントゲンの見落とし非常に単純なミスで、2回手術と10か月、2カ月と長い入院生活を強いられた時期がありました。

いわゆる医療過誤です。

一時は要介護4でしたが今はピンピン。

少なくても私よりは元気です。

階段から落ち、年末だったので救急に行きました。運悪く、専門外の内科の研修医(本来は研修医は1人で診療はしないのですが、たまたまもう1人の医師が遅れていて1人で診ることになったのそう)。内科の医師だったため、おなかにばかり目が行き、はっきりと映っていたボキリと折れた大腿部頸部の重症骨折を見逃してしまったのです。
そのまま、折れた脚でリハビリを8回もやってしまったのですが、リハビリの先生が気がついてくれました。気がつくのもあたり前です。
足がぐにゃりとくの字に曲がっていたからです。

その過程で何度も発見されるチャンスがあったのにも関わらず、9人の医師が見落とした形となりました。もう示談になったのでこのことは、これ以上ここでは語りませんが、ミスというのは必ず起きます。しかも連鎖的に。原発も同じ。
それを『想定外』としていたら、いつまでたっても改善しません。安全策と言うのはやりすぎるぐらいがいいのです。
ちなみに、その病院は、当時は医療事故が多発し問題となっていましたが、院長が代わり、同じ病院と思えないほど多くの点が改善されました。やはり、病院の体質と言うのはトップが変わらなければ変わらないんだと痛感。これは、東京電力にも言えるでしょう。

母は、その病院に今でも通い、診て頂いています。
私も、うるさい家族と思われたでしょうが、結果的に当時主張したことが生かされていることは嬉しく思います。

全く、別件です。
支持者の方がだいぶ前に送ってくださった『夏の扉』。心温まるメッセージが添えてありました。お礼状を書こうとしたら、住所と名前を紛失。ぜひ、知らせてください。

  2011.05.10
さあ、会議だ会議だ

おはようございます。

火・水・木と会議が集中して、議員が地元に戻る金曜から会館は静けさを取り戻します。
お互いに相談しているわけではないので、大事な会議が重なるのが悩みの一つ。

今日は、震災(すぐ前の名称災害と書いてしまう)ボランティア室の会議・同時刻の別の会議に即移動、会食、年金3号被保険者問題ワーキングチームの会議・東日本に大震災について考える会、などなど。あ、雇用問題の会議もあるはずなのに、漏れている。

『俺のこと、ツィッターに書いただろ!』と岡島議員に怒られてしまいました(笑い)。褒めたつもりなんですが、短文のツィッターだとなかなか伝わらないことも。

女性議員が苦手な岡島議員は、しょっちゅう部屋に行く(部屋が2つ隣)私がうっとうしいようで、すぐ喫煙室に逃げてしまいます。とてもわかりやすい。それでも、3月11日は、人で部屋にいて逃げ込んできた私を必死にをかばい盾になってくれました。思わず抱きついたら、ウエスト○○○センチのお体には腕が回りませんでした・・・。

トラック運転手として申し込んだ男性2人が福島原発内で作業員として働かされていた問題。
もちろん、違法行為だし、『手違いだった』と仲介業者は言い訳しているようですが、手違いで原発内で仕事をさせられたら、たまったものではありません。

福田えりこ議員が一般質疑で、原子力発電所の作業員募集の求人票コピーを配り質問していましたが、そこには高給なことだけが強調して書かれ、業務内容は場所は原子力発電所内とは明記してあったものの、危険性などの情報はまったくありませんでした。日雇い労働者の困窮に付け込んだやり方には怒りを感じます。更なる監視体制が必要になってきます。

  2011.05.09
東京へ

午前中は、職業訓練所へ。

訓練所の皆さんに私がなぜ政治家になったか、テレビ局でしていた仕事、なぜ安定した高給の職を捨てこの世界に飛び込んだ理由などについてお話をさせて頂きました。質疑応答も入れて1時間45分ほど。必ず自分にあった仕事がある、自分に向いていることを見つけてください。チャンスは必ずくるのでそのチャンスを逃さないでください。


僭越ながらそんな話をさせて頂きました。私自身、21年かかって、やっと本当にしたい仕事を見つけられたので、運がよかったと思います。

しかし、一方被災地の皆さんは、したい仕事どころか仕事そのものがない、勤めていた会社がなくなってしまった、という状態です。そのことも心にとめて、明日も開催される雇用問題ワーキングチームに参加してきます。

  2011.05.09
職業訓練校 安中市川校の職業人講和カリキュラムにて

社会人としての経験などについてお話させていただきました。
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  2011.05.09
昨日は藤岡へ

*新後閑町の交差点にて

*山名町の交差点にて

*芝塚町の交差点にて

昨日は、高崎~藤岡にかけて挨拶まわりと街宣活動、辻立ちをしました。藤岡でもポスターを貼らせていただいている後援者が多く、感謝感謝です。

本当にありがとうございます。

  2011.05.08
政治家という職業

政治家というのは、本当に孤独。祖父は恩師であり敬愛していた石橋湛山さんを早くに亡

くしました。その後、あそこまで信頼し尊敬できる人は現れなかったように思います。私が

本当に信用しているのは小沢元代表ほか数名。相談できる人は先輩は2人。(同期は別

です)しかし、小沢元代表は、まわりにあまりにガードされ近づきにくい存在にされているの

が残念。本当は気さくな方なのに。

政治家は、病気も隠さなければいけない(らしい)し、家で救急車を呼ぶと3時間後にはマ

スコミに漏れる。(これは救急無線を使っているからで、使わないよう頼むと多少防げま

す。)

マスコミ出身なのにマスコミ嫌いになってしまいました。あまりにでたらめで。

フライデー、週刊新潮、日刊スポーツ、スポーツニッポンの一部の記事。スポーツ紙はた

まに好意的に書いてくれることもありますが・・・。週刊新潮はたまには現場の若い記者に

取材させるようにして欲しい。なぜ、いつも超年配の方?そもそもアロマをよく知らない(数

万する贅沢品と思っていたのでは?)69歳。話がかみ合わないのは当たり前。

国会内でどんなに地道に努力してもそこは見てくれない。勝手に作られたイメージだけ。

しかし、それでも真摯に取り組んでいることには、ちゃんと見てくれている人がいます。

そういう人は、どんな記事がでても、『どうせ、いい加減な内容でしょ』と相手にしない。有難

いことです。

私はめったに夜電話をしないようにしています。(友人以外)一度かけると、『よく電話があ

る』などど言われるからです。最近は色々あり、岡島議員には電話で文句言っていますが

これは特例。(メールはたまにします)もちろん、仕事の電話は仕方ありません。

TSUTAYAでDVDさえも借りれないし、本当に自由がない生活。最近はビールで乾杯ぐらい

するようになりましたが、半年は控えていました。基本的には缶チューハイ一杯程度。お酒

が強いのとアル中は違います。この記事を書いた記者は相当飲んで高崎から帰ったよう

ですが(笑い)なんかヘン。

ただ、仕事が充実しているのでその点は不満のない楽しい生活です。プライベートがない

のは承知の上だったので(事実無根の事を書かれるのは別→これには今後断固として闘

います。家族のために)

ブログはなにかあると見当違いの分析をされるので、最近は意識して書いてます。本当は

もう少し自由に書きたいなと思いますが。『早く三宅さんらしいブログやツィートして』と言わ

れます。

  2011.05.07
高崎にて

Img_0638 *江木町の交差点にてImg_0647 *高崎駅東口の交差点にてImg_0656 *日光町の交差点にてImg_0673 *下小鳥町の沿道にてImg_0682 *飯塚町の沿道にて

本日は、終日街宣活動と辻立ちをしました。

  2011.05.07
Jヴィレッジ報告

他の議員は東京、私は群馬からということで10時40分の集合に向けて念のため、5時半に出発しました。
結果的には前の車が見えないほどガラガラ。早めに現地に到着できました。

車のナンバーはあらかじめ登録済みで、指示された場所に駐車。
裏口から入り、手前の部屋でJヴイレッジの活動について30分ほど責任者(東電)の方にお話を伺いました。ここは、原発で働いている人のいわば拠点であり、また一番大事な健康管理、安全確保をする場所でもあります。現在は作業員含め1600人前後の方が出入りしており、敷地内には東電の方は50人ほど、あとは日立・東芝・大成建設・鹿島などの企業(部屋が別途ある)、関係会社の方々などで構成されています。
短い時間で駆け足で視察させて頂きましたが、ガイガーカウンターで測定している様子などは緊迫感がありました(作業員の方にとっては日常でしょうが)1万3000カウントオーバーすると除せんだそうですが、ほとんど今はそういうケースはないとのこと。
足りない足りないと言われた線量計も今は行きわたっているようで、貸出しカウンターにこれから作業に出る方が列を作っていました。極めて淡々と作業が進められているといったのが全体の印象でした。意外だったのがメディカルセンター、ここは放医研の方が一人常駐しているものの、まったく見た目は普通の会社の診療所。実際、事故発生当時の2人、足をつけてしまった3人以降は、原発による明確な患者さんはいないとのことで、風邪などの患者さんがほとんどとの説明でした。図を見せながら、導線の説明もありましたが、基本的にはチェック前の作業員が他の作業員と接触しない仕組みとなっていました。

お昼に非常食のカレーを頂きましたが1000円と聞き、びっくり。(美味しい)×1600人では大変な出費。宿泊は近くのホテルにツインには3人、というように泊まっているとのことで、勤務はローテーションで過剰労働にならない工夫をしているようです。長い長い戦いになるので本当に現場の方の健康管理に気を配って頂きたいと思います。

  2011.05.06
福島県の被災地を視察

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  2011.05.05
Jヴィレッジへ

今日は久しぶりの駅立ちと挨拶回り。ツィ友がちらほら。

統一地方選挙の間は自粛、ゴールデンウイーク前半は、49年ぶりという衆・参本会議、予算

委員会開催という日程だったため間があいてしまいました。

無事、4兆円規模の第一次補正予算も成立、関係者の皆さまには心から感謝を申し上げま

す。

明日は、同僚議員と福島JVヴィレッジの視察に行ってきます。ここは、日本サッカー界初の

トレーニングセンターですが、現在は原発対応の拠点となっています。

5時半起きで所要4時間(予想)。1時間以上の移動は2回目ですが、休み休み行ってきま

す。震災ボランティア室にいながら被災地に行けないのがずっと歯がゆく申し訳なく思ってい

たので多少無理をしても行ける機会があってよかったと思っています。

川内議員らとも合流します。川内さんは無言の(時には明らかな)プレッシャーをかけるのが

上手。その前にさんざん、長時間の移動は無理なんですと伝えていたのですが、『初鹿議員

や福田さんは来るけど・・・いや教えてあげてるだけだよ。別に来いという意味はないよ』と言

われ、すぐさま行くことを決意しました。家族も事務所も主治医も事後承諾。厳密に言うと主

治医の先生は絶対にNOと言っていたので、もう診てくれないかもしれません。夫は怒り心

頭。まあ、あとで考えます。今回はボランティアではなく視察なので負担は少ない(はず)なの

で。我が事務所のマーチ(中古20万)が修理中のため、一体何年落ちか怖くてきけない代車

のカローラで現地に向かいます。どこを見ても見たことのない型のカローラ。往復無事走って

くれることを祈りつつ出かけてきます。

  2011.05.05
価値観って・・・

たまたま、今日の会合で経歴詐称について話がでたので(今、群馬で話題らしい)、私の

意見を。

よく学歴や職歴を詐称する事件が政治の世界でもありますが、どんなに自分を偽っても自分

自身は変わらないのになぜ・・・とそういうことにあまり興味がない私はいつも不思議に思い

ます。経歴を見て投票行動する有権者はどのくらいいるのだろうか?ボランティアをしていた

とか、国際貢献をしていたとか、またはよほど変わった経験をしているなら理解できます

が・・・。(ちなみに最近まで私の議員便覧は卒業学校ぐらいしかなくスカスカのものでした。)

わずか2年しかいなかった報道記者の経歴を出馬のとき、マスコミに取り上げられたのはな

んだか気恥ずかしかったです。(とはいえ、70回ほど画面でリポートはしていたのですが)

やはり、記者という肩書きは選挙に有利なのでしょうか?どのメディアも肩書きは記者になっ

ていました。5年は経験しないと一人前の記者とは言えないでしょう。1回や2回原稿を書いて

記者を名乗のるのは反則かな。また、試用期間中は社員ではありません。(私の勤めていた

テレビ局は当時1年は試用期間で1年後に社員として採用でした→今は知りません)

ちななみに、私は営業畑(16年)。今でも、本編よりコマーシャルに目がいってしまいます。提

供クレジットを見て、『あれ、あのスポンサーどうしたの』と聞くことも。担当だったところは気に

なります。

話は逸れましたが、学歴や経歴の詐称は必ずばれるし、場合によっては罪に問われるし、

恥ずかしいこと。なぜかというと、そういうことに価値感を持っている底の浅い人だと思われる

からです。以上は、あくまでも私の私見(とおそらく一般論)です。

  2011.05.05
Jヴィレッジ

明日は福島のJヴィレッジに同僚議員と行くことにしました。
川内博史さんたちとも合流予定です。
群馬からは3時間ほど、秘書の運転で休み休み向かいます。

被災地やその近辺に怪我のため、行かれなかったのが震災ボランティア室でも心苦しかったので視察にはなんとか無理しても行こうと思います。また、数カ月は東京から動けなくなると思いますので・・・・、最後の機会です。

被災地から帰ってきたA君から昨日は岩手南部大船渡の状況を聞きました。依然、変わらぬ何もなくなってしまった広大な土地。想像するだけで胸が苦しくなります。
私が大阪赴任をしたのは阪神・淡路大震災が起きた年の7月でした。私がいた3年のあいだに無残に折れた高速道路は開通し、驚くほどのスピードで復興は進んで行きました。
関西の、日本の底力を見た思いでした。しかし、今回は津波被害も加わり、本当に被災者は家族や知り合い、会社や従業員を失い本当に『何もない』というところからの復興です。

原発の問題は原因はもちろん天災です。しかし、その後の起きたことは人災であるのは否定できません。企業の隠ぺい体質、役所の当事者意識のなさ、縦割りの弊害、原子力安全委員会の危機管理能力のなさ、そしてそれらからあがってきた情報を信じてしまい、発表してしまった政府。ただ、これはどんな党が政権にあったにせよ、防げなかったことでしょう。ましてや長いあいだ原子力発電所を安全だと言い続け、しかし安全対策は怠たり、推進し続けた前の政権には特に。

多くの方にツイッターのフォロー頂き、有難うございます。
大部分の方が一部の悪意のあるマスコミ報道を信じず、福祉への政治への熱意を理解してくれ、活動を応援してくれていることに感謝をします。本当に多くの友人ができました。長電話につきあってくれるEちゃん、愚痴を聞いてくれるSさん・・・。
私をいまだに苦しめるあの事件。通常だったら単なる委員会につきものの、乱闘さわぎの一場面です。

つい最近まで委員会で私をあの位置に移動させ、事故のあと車椅子に半ば強引に乗せ、当日A議員がやった(実際は直接被害は初鹿議員で被害は玉つき)と話され、結果的に騒ぎを大きくしてしまった先輩議員を少しだけ恨んでいました。(本人はその後見ていなかったから自分には関係ないと私には釈明→これには当日居合わせていた秘書一同愕然でしたが(笑い))A議員とは、深い縁がありお父さまと祖父が懇意で祖父がだいぶ選挙の応援を含め支援していたこともあり、先方もあまり後味はよくないのではと周囲が言っていました。

しかし、この大災害を前にそんなことも小さいこと。その先輩議員も今、被災県選出の議員として大変な苦労をしています。
私もその先輩を応援し、できるかぎりの支援をしたいと思っています。もうまもなく、民主党政権になって折り返し点、すべてをリセットし、復興を進めていかなければ。

どうしても震災が理解できない弟が秋田の祖母に会いに行きたいというのをやめさせるのに3日かかりました。自閉症は計画の変更に順応できないのです。母は、もうグロッキー。
何十枚も紙で筆談を繰り返し、やっと納得させたそう。
高崎に帰ってきたら、郵便受けには同じ内容の弟からのハガキが何枚も何枚も入っていました。忙しさを理由に母にすべてを任せてしている自分を反省しました。身近な人を大事にしなければ、福祉を語る資格はありません。戻ったらゆっくり話を聞いてあげよう。

  2011.05.03
第一補正予算

総額4兆円強の第一次補正予算が成立しました。私たち議員はもともと休みなどありません

が、多くの方々に休日返上でご協力頂いたことに感謝を申し上げます。

とりあえず、ほっとしていますが、緊急性の高いがれきの撤去や道路の復旧、仮設住宅の建

設を急ぐことが重要です。いまだ避難所や避難先にいらっしゃる12万人以上の 方々に方に

せめて少しでも早く落ち着ける場所に移って頂きたい。

第二次補正予算は、さらに大規模になることは確実ですが、財源論はますます活発に議論

されるでしょう。3党合意の内容は具体性がなく見え、今後、マニフェストのさらなる見直しを

含めてもめることは必至のような気がします。

  2011.05.03
決意

プライベートなことは書かないようにとアドバイスを受けますが、今日を最後に言いたかったことを書きます。強いていえば転倒事件のことも言いたいことはありますが、もうあの件はわかっている人はわかっているし、いいでしょう。

前回入院したときは、テレビも雑誌も新聞も見ない1ヶ月でした。
ただ、仕事に関係することもあるので、新聞は夫がチェックしたもののみ目を通していました。最近、事務所でその頃の女性セブンをひょんな拍子に見つけ、中の記事は見ませんでしたが、タイトルとその扱いの大きさにびっくり。
政治家で一年生、私にそんなに興味がある人がいるのだろうか。事故は衝撃だったのかもしれないけれど、あまりにひどい見出し。しかもすべて間違ったもの。後に、しめし合わしたように同じ内容になった一連の報道の理由はわかりましたが、バランスを崩して落ちたそれ以上でもそれ以下でもありません。ただ、一つ誤解を招いたツイートがあったことは反省していますが、もう皆が理由は察しがついているでしょう。でも、あんなことは書くべきではありませんでした。

後に、私をかばってくれた事情をよく知る同僚議員の話を聞き、本当に感動しました。
国民の命を守る立場の人の中にまさか助かったことを喜ぶどころか残念に思う人がいるというのもショックなことでした。

夫は浮気だの、離婚秒読みだのという報道には怒っていました。周囲が呆れるほどうちは仲がいいのです。『本当に結婚12年目?』と聞かれることもしばしば。先日も何回もうちの夫に会ったことのある小沢元代表が会合で、『本当にいいご主人なんだよ。君にはもったいない(これは余計)』としきりにおっしゃっていました。
最近、夫が『命が助かっただけでも奇跡なんだよ。下半身に麻痺が残らなかったのも。だから、今、立っていられる。そのことに感謝をして2人で生きていこう。僕は雪ちゃんが生きていてくれる、そのことだけで十分幸せなんだよ』と言ってくれました。
このまま、悪化が進み、仮に車椅子になっても政治活動はできます。どんなことになっても、選挙に立ったときの夢『皆が平等にチャンスを与えられ、お互いにいたわりあう社会をつくる』ために頑張っていこうと思います。今は、それとともに、被災地の方々のため、自分ができることをとにかくやるのみ。

20年近く家族のように接してくださっている(仕事の場では違いますが)小沢元代表、気さくに相談に乗ってくださる鳩山前総理、熱血漢の原口前総務大臣、厚生労働委員で初めてご一緒し、それ以来同じ福祉をライフワークにしている議員として常に応援してくれている山井前厚生労働政務官、優しいのか厳しいのかわからないのですが指導(ご本人いわく)くださる川内博史議員・・・多くの先輩議員(特にMさん、Oさん、Tさん)・私の宝物である同僚議員にいつも感謝をしています。
国会議員は孤独なもの、弱音を吐かず頑張らなければいけない。しかし、やはりこうした方々の支えがあって、困難に乗り越えられてきたのもまた事実。たとえ一国の総理でも人間は一人では生きていけない(と思う)。私が今度誰かの助けになろう。そして、仕事。尊敬する長妻さんと馬淵さんを目標に自分のテーマを見つけ『極めるよう』と思います。

  2011.05.02
健全なチェック機能とは

原子力を推進する資源エネルギー庁と、監督する・監視する原子力安全・保安院がなぜ同じ経産省の外局なんだろう。
こういう不思議なことは、事故が起きて、問題が起きて初めて気がつきます。
どんな場合でも、監視機関は完全別組織が所管し、当該関係者でない、専門家で構成されるべきではないだろうか。しかし、結局は御用学者・関係者ばかりになってしまうのが実情です。

話は少し逸れますが、政府の多くの審議会(一体いくつあるんでしょう)の委員を選ぶのに、私たち政治家(執行部除く)は関与できません。(推薦ぐらいはできる場合も)官邸の中で決められ、時にはその審議会のメンバーが、私たちが部門会議なので議論した内容と違う結論を出し、政府のお墨付きで新聞でその事実が発表されることさえあります。審議会の類の在り方はぜひ今後改善して欲しいことの一つ。あくまでも参考意見を取りまとめる場にして、その内容を部門会議にフイードバック、それを踏まえ議論をする。政治主導をうたっている民主党なのだからそうあるべきだと思います。

  2011.05.02
おはようございます

夫が朝食を作ってくれ、薬を飲み、腰を温めています。
と書くと何もしない主婦のようで人聞きが悪いですが、私が介護の必要な状態だからです。

だんだん、コルセットをはずして歩ける距離が短くなってきました。会館のエスカレーターや動く歩道が止まっているのは節電のためですが、障がいがある方はつらいだろうな、というのは身を持って感じます。怪我をして、色々なことがわかり、障がい者行政をライフワークにしている私にはためになる経験になっています。今まで気がつかなかったこと、見えなかったことが、まだまだ不十分ですが、わかってきました。怪我一つでも前向きにとれることができるようになりました。

やはり、医師のアドバイスには従わなければいけなかたったと心から反省。5か月経って悪化しているなんてあってはならないことです。
退院後の一カ月に厚生労働の関係の方から頂いた遠方での講演のお話、自分が行きたかったのもありましたが、障がい者関係を扱う事務局に入りたかった私は、周囲の制止を振り切り、出掛けていきました。今にして思うと、一番安静にしなければいけない時期に、毎日の駅立ちを含め、無茶をしすぎました。これはすべて自己責任。

転落は、それに至る出来事があったにせよ、自分の不注意であり、なんの言い訳もできないことです。ですから、もう『痛い』という言葉は書きません。仕事には支障をきたしていないので、少し会議には遅れることはありますが(歩くのが遅いため)、これからも頑張っていきます。

最近、長妻さんの『闘う政治』をいまさらですが読み、野党の時代の民主党の輝き、長妻さんはもちろんですが、馬淵さんのさっそうとした偽装耐震の追及などを思い返しています。政治が、しかも野党が変えれるんだと思ったのも今の自分があるきっかけです。野党時代ではありませんが、(連立政権下の)菅さんの薬害エイズにも影響を受けました。そんな民主党が今100%党の良さを出せていると思えないのは残念ですが、長妻さんの『招かれざる大臣』、岩淵美智子さんの『政治学の授業』の山井前厚生労働大臣政務官のパートを読んで頂けると、本当に多くのことが厚生労働の分野で民主党政権になって変わったことがわかります。そういう意味で、民主党は決して必要以上に卑下はすることはないと思います。これからも、震災復興においては雇用をはじめ、厚生労働が担う部分は大きく、これまで以上に全員一丸となって頑張らなければ。

  2011.05.02
今日、思ったこと

政治家の家には育ちましたが、まったく政治の道には興味がなかった私。

10数年前、一度出馬のお話を頂いた時もお断りをし、その後テレビ局で21年間なんの疑問も抱かずそれなりに充実した日々を送っていました。しかし、年月が経つにつれ、自分の中に表現しようがない違和感が芽生えてきて、自分の天職はなんだんだろと考えることが多くなってきたのです。このままで私の人生はいいのだろうか・・・。

街中で困った人がいても通り過ぎていく人たち、マンションで挨拶も交わさない一部の住民、平気で路上にゴミを捨てる若者、孤独死する高齢者、家族で殺し合う事件の多発・・・。
どんどん削られる社会保障費・・・。

それらに、ひどく心を痛める自分がいて、このことに何もしないでいいのだろうかと考えるようになったのです。
そんな時、まるで私の気持ちを見透かしたように声をかけてくださった小沢元代表。
そして誰もが不可能と思った群馬4区での当選。
比例復活でしたが、初めての民主党の議席でした。2009年、政権交代が実現し、2011年、1000年に一度の震災が起こりました。

菅総理が宿命と言ってご批判を受けていますが、そう感じた議員もいたのではないのでしょうか?この復興を成し遂げるまでには、私たちは政権を譲り渡してはいけない、それだけは強く思っています。しがらみのない私たちだからできることがある。1000年に一度の震災の経験がないのは他の党も同じ。特に原発の問題は、60年放置していた党には決して再び任せてはいけないのです。我が党の中にも意見の相違など問題はあります。これらは速やかに解決し、被災地の復興をさらにスピードアップし、未来を担う子どもたちを守る政策をすぐに実行に移さなければなりません。

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